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狂った人や変な人が天才と呼ばれる中で、それを演じてでも周囲からそう見られたいと願う人は少なくない。そう装いたい人ってのは端から観れば分かってしまうものです。
それを詩や音にして、人に歌い、共感を得ることは先に挙げた優しさの例で考えれば成功ですが、そこに意味はあるのだろうか、自分が崩壊してしまわないのだろうか、と思う事があります。
ブランドや知識に身を包み、精一杯の背伸びをして自分を良く見せるのとなにも違いはしないのに、そういう人に限ってブランド志向の人間を否定したり軽蔑していたりするものです。自分に対してのエクスキューズは、「自分は何かを生んでいる、奴らはお金でモノを揃えて着飾るだけだ」とちゃんと用意されている。
だから良い悪いという事ではなく、人の事は僕にはあまり関係のないことだ。ただ言えることは、ここには多分ヒーローになれる要素は含まれていないだろう。

ちょっとおかしなことを言ったり考えたりする人ほど何か世の中をナナメに見ていて、回りが観ている同じものに対して別の捉え方をするものだ。だからそれを別のものに置き換える才能さえあれば、アーティストって呼ばれるやつになれる資格がある。
突拍子もない考えや発言をすればするほど当たり前とされている事象と真逆であることが多いため、見聞きする人にとっては暗号のように見えたりして、気が触れてしまったか宇宙に語りかけるような愚行にさえ映るかもしれない。その行動は確実に非難され、その投げかけた疑問がたとえ市民権を得て「正しいもの」に変わる事があったとしても、時間が掛かるのは当然の事だ。突拍子だと思えることは「元々は無かった」ものだから、沢山の人に何かを植えつけたり芽生えさせたり出来る「真のアーティスト」は歴史を紐解いてみても死してから認められることが多い。それくらいそのアーティストが発したものは大きなものであり、時代にそぐわない、未来に託せる可能性のあるものだったからだ。世紀をまたいでようやく理解されるまで閉じ込められたタイムカプセル的芸術は、日の目を見る時間が長くても、きっと素晴らしいものなのだろう。

「そこにあるもの」や理解出来るものは確かに暖かくて心地よいものだが、そこから新たに何かが生まれることはなく、あるものを大切に抱きしめ続けている行為に過ぎない。「伝統を守る」という例もあり大切な行為もであるが、創造するという行為ではなく、これもまたヒーローになれるような要素のものではないだろう。

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【解釈】

主人公は宇宙飛行士で、自分が今目の前にしている最高の地位と最高のハイテクに囲まれた環境、目標に辿り着いてしまった達成感から来る孤独とそこにある空虚さを話しています。

ヒーローとはなんだろうか。一緒に考えて行きましょう、ではなく、僕の定義を少しお話しましょう。そして最後に書きますが、それはとても意味のない事でもあると思うので、これを最後まで読んでもあなたにとって何の得にもならないであろう事も付け加えておきます。


言葉を発すること、何かに書き留めること、その時点でそれはウソになる。
僕が「青」と言っても、伝えた相手には僕のイメージする「青」とは違うものを連想するだろう。だからどんな真実を語っても無駄だ、所詮人に正確な思いや事象を伝えることなど出来やしない。「話せば分かる」「言えば分かる」なんて体のいい幻想だ。

では真実や核心、そこにある本質とは何か。
それは受け取った相手が感じたり思ったもので成立するということになる。自分のためにやったことが相手にとって気遣いと感じられればそこには優しさと思い遣りが生まれてしまい、また逆に優しさをもって接したとしても、相手にとってそれが余計なお世話に変化することもある。

人に説いてまわったりすることの無意味さや、思いを発信することの空虚さを知らないアーティストは居ない筈だ。人に破片を投げかけ、そこに想いってヤツが何か乗っかって、色んなカタチの感情を生み出せばそれだけで成功なのだと。それ以上の『人に何かを伝える手段』などきっとありはしないのだ。
意味のあることなんてこの世にどれだけあるだろうか。だったら意味付けに走りがちになる僕ら人間の行動は、相当無駄に思える。
でもそれがこの何もない世界に生きる原動力への意味付けに値するなら、それを追い求めることもまた真に必要な事なのかもしれない。

この作り手と受け手のスレ違いと勘違いがあるからこそ、新しいものがそのモチベーションを崩さずに生まれ続けていくのだろう。そこには「意味のある無意味なもの」が交錯し合っている。


自分の弱さを一切見せない時期がありました。僕の背景がそれを許さなかったのだけど、完璧であることや常に平然としていることが求められ、そしてそれを踏み台にして沢山の人が活きていました。そういう立場にありました。
唯一の理解者であった筈の彼女は、僕が弱みをみせないことへ不満さえ漏らしました。それほど器用でなかった僕は、彼女と過ごす時間にそれほど開放的になれなかった。
この状況で板ばさみになった僕は、弱さを見せることがその他の全てを崩しかねない原因を作ることにもなり、僕をそういう風に見立て、キャラ付けし、勝手に祭り上げた人への責任を果たさねばならなかったのです。期待に応えることが嫌いではない自分にとってそれ自体は構わないことでした、でもその裏では失敗出来ないという無駄に重いものを背負ってしまいました。
自分が始めたことへの責任、そして初めて本心から感じた「義務」ってヤツを全うしていくために必要な足枷でした。

だからこの気持ちを人に伝えることは出来ず、何があっても自分の中に閉じ込めておくしかありませんでした。唯一同じ位置にいた人間は耐え切れずに早々に逃げ出してしまって、辛さを分け合うことも出来なくなりました。
一人取り残され孤立した僕は、自分がやっていることを正当化しないととてもやっていける状態ではなかった。そのために多くの犠牲も払いましたが、それが何かを提供する側の責任ということも良く分かっていました。音楽を始めた当時の自分にとってもそういった経験は大事な事だったかも知れない。

冷静に判断し、迅速に行動することは周りから見れば立派な事かもしれない。しかし目に見える部分を羨まれ、疎まれ、「どうせお前は違うから」とある種の差別を受ける。人が持ってる総合的な能力はほぼ等しいのだから、どこにどれだけの努力や労力を注力したかが結果となるだけであって、その上辺だけを剥ぎ取って見られることの無意味さと空虚さを知る事になった。そこに新たな絶望を感じた事は確かだ。
新しい事を始める事やそれを続けていく事の難しさ、人の前に立つ事の責任と苦しさ。120人規模の団体を纏めるには、まだ余りに若過ぎました。そんなに苦労をしてまで人の中に何かを生めたかどうか僕には分かる術はありませんが、僕がしたことそのものではなく、そこから間接的に生んだものは僕の中にちゃんと返って来ました。
結果としてプラスマイナスゼロと考えれば僕のやった事が意味のあるものだったのか、やはり答えは出ません。

【テーマ】

僕たちの未来はこれでいいのでしょうか
僕たちの現在はその「未来」とかいうやつへ
ちゃんと繋がってるのでしょうか
考えてばかりじゃ何も進まないから
時には本能を解き放って自由に羽を伸ばす
でもそこにもちゃんと天井を用意しなくていいのでしょうか

僕たちは決して通じ合うことの出来ない別の固体の動物で
クオリアがある以上、発した言葉もノートに書き記した事も
その時点で嘘になる
だから通じ合わなくていいのか、その努力は必要ないのか
それはきっとまた別の話だ

本当につまらないことやくじけそうなことばかり
だから時には壊れてしまおう
だけどそうすることで何かが「未来」とやらに残らないのなら
それこそ本当に無意味なものかもしれない

目の前のことが分からないなら
もっと遠くを見つめ、あとは自由である方がいい
僕らは束縛されたりはしていないのだから
向かう方向は自分で決められる
その方向が正しかったかどうかは
そのうち分かるさ

新曲がmusieでアップされましたので歌詞をここに残しておきます。
また解釈メモも用意しておきますね。



ヒーロー /  xign feat. flair

do you wanna be a hero?
do you wanna be a hero...

発するコトバ ウソ
聴こえるココロ ホント
人に説く事 間違い
(正義・悪 不問)

弱点誇張 本末転倒
買被り へそ曲がり
(宜しく伝えてください)

夜空へと飛び立つ私は
滑稽でイカれた存在に見える?
でもその記憶はいつかきっと
ヒーローに変わる私を
飛び越えてエネルギーをくれる

大地を蹴れ 空へ飛べ 
遠い星は忘れてしまえ
暗号放って応えて
宇宙と語ってしまえ
22世紀を生きてる人に
伝えていけるもの
自慢出来るものなんて 
どれだけあるって言うんだ?
だって今はもう未来なんでしょう?


記すコトバ ウソ
汚れたココロ ホント
人に優しさを 間違い
(成功・失敗 不問)

黒くて灯るいものも
いつかは早足でぶつかるもので、、、
複雑に入り組んでる
ジ・オの魂はきっとどこかへ
「アイ」とかいうものを運んでく

大地を蹴れ 空へ飛べ 
遠い星は忘れてしまえ
暗号放って応えて
宇宙と語ってしまえ
どうでもいい空の色
入ってこない言葉と音
失明した現実でもきっと
宇宙は勝手に、
膨張なんかを続けてくんだ・・・

少し難解な曲なので、レコーディングをする前に彼女達に少しでも曲理解をして貰いたいなと思い、簡単なエッセイ的なものを用意して待ち時間に読んで貰いました。それを新たに少し編集してここに書き残しておきますので、より深くこの曲を楽しみたいな、と思ってる方が居たら合わせて読んでみて下さい。

僕が何かを考えてこの曲を書いたわけですが、作者が僕であるからと言ってそれが絶対的な正解であるとは思ってません。作品は作る人と受け取る人が居て、たとえAを発信して受け取ったときにそれがBになったとしてもそれは一つの作品としての完成だと考えます。
その辺りの僕の作品を作る事に対する考えみたいなものは次回作の「ヒーロー」に散りばめられているので、合わせて読み取って貰えると面白いかもしれません。

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・ボクノブンシン

魂とカラダが別のものであるとして、魂からみればカラダは自分の擬似体であり、カラダからみれば自分の意思と精神である。「自分の存在」というくくりはどこが境界線でしょうか。明確には分からない。
自分から見える世界や触れる事の出来る世界全部「以外」で残ったものが自分である、と消去法でしか自分というものを導き出せない。
あれやこれや、少なくとも君「ではないのが僕」だ。

何処からが自分でどこまでが自分なのか、これもやはり分からない。自分を触る事は出来るし、感覚神経が「自分に触っている」と教えてくれるが、その触った部分が無くなったら自分ではなくなるのか。それもきっと違う。じゃあ「魂とやら」が自分であった場合、この体はなんなのか。ずっと「自分」と呼んできたけど、実は自分ではないかもしれない。となると自分だと思ってる自分と、自分だと気付いて居ない自分の二人が存在する事になる。僕らは二人で一つ、正に一心同体。
僕である僕、今やっと認識したよ。今まで知らなくてごめんね。
初めまして、こんにちは(?)。

人と人、意思と意思が相互関係を持つ事を「社会」と呼び、そこで自分を形成している擬似体を俗に「アバター」という。例えばそれが電子コミュニティーの中でハンドルネームを持つ文字だけの仮の自分や、実際に操作もできるゲームのキャラクターまでをも含む。
これは自分の意思で仮の自分として動く擬似体があればそう呼ぶわけだからリアルな世界で自分と定義するものさえ曖昧で、一つである筈の自分が幾つもあることをも認識することが出来るのだから、「魂」から見た「入れ物の自分」もまたアバターと大差ないのではないか。反対に「自分以外」から逆説的に定義した「世界」だと勝手に思っているものが果たして本当にあるのか、無いのか証明する事も出来ないことにもなる。ひいては君は君であって君ではないのかもしれない可能性もある事になってしまう。
でも考えたってキリがない。

情動がそうさせるのか、脳が勝手に解釈するのか、人は喜んだり落ち込んだり優越感に浸ったり劣等感に苛まれたりと非常に忙しい生き物である。人は強くは無いから自分と言うものを自分でさえ受け止めることが出来ない。だから個には集、「社会」ってやつが必要で、一人では生きていけない。
もしこの世界に僕しか存在しなければ僕は自分を認識出来るだろうか。マイナスからしか導き出せない「自分」に、引き算する存在が居なくなったら多分無理だろう。
君が居なければ僕は成り立たない。だから僕が僕であるために君が必要だ。
そこに居てくれてありがとう。

それでも人間は愚かだから、どれだけのお人よしで心の清らかな人であっても自分以上に人を気遣う事も出来ない。人間も動物である以上例に漏れず本能がそうさせてしまうのだからこれはもう仕方がない。


君の世界にも僕は存在する。外部からは君じゃない僕だと認識出来るからだ。認識は記憶となって僕という存在がデフォルメされ、劣化コピーされて君の中に存在を複製する。僕と僕、君の中の僕。僕の中の君、君の中の君、誰かの中の僕と君・・・。無限に広がって複製されていく僕と君。だから君も僕もどこかで繋がっていて、僕や君を認識可能で記憶媒体のついている機械が存在すれば、そのマシンもまた、社会と僕の一部だ(?)。
テクノロジーはこうしてやんわりと社会と融合して来たと考えると、ネットで形成された社会はリアルの世界となんら変わりないと言われるのは不思議な事ではなくなり、希薄に感じるこの世界は僕らの知らないうちに思った以上に色んなものが融合し侵食し始めていて、僕や君が社会やテクノロジーと溶け込みすぎて、もとより曖昧な自我の境界線は日々その曖昧さが加速しているように感じるからなのかもしれない。
人が人を模した人形や考える機械を好んで作ろうとするのは自分単体で存在し得ない事を認識していて、誰かを求めたり作ってしまおうとしている行為なんだろう。この力は一体なんだろう。
これが愛の基本形なのかもしれない。

こうして僕の作る僕の社会と、君が形成した君が住む社会は二つあってでもやはり一つで、社会も人もそれぞれにパラレルワールドが無限に形成されている事になる。リアルだと思っている事は、想像以上に仮想が積み重なったファンタジーとも言えるかもしれない。


そんな曖昧な世界でなら、仮に自分が自分であって自分でなかったとしたら、許せる事や受け入れる行為ってのは思ってる以上に簡単に出来るんじゃないか。自分を認めてあげられないのは人を受け入れられない事も意味し、人を受け入れられないのは自分を認めてあげる事が出来ない事にもなる。角度を変えてみれば、人を受け入れることが愛で、ようやく自分を受け入れる準備が出来るのだとすれば、君も僕もきっと本当は一つで別の意思であるだけだ、とも言えるのかもしれない。
意思が違うから人を受け入れられないのか、自分じゃないものだから受け入れる事が出来ないのか?意思は考えや見た目が違うと認識している情報のせいで受け入れられないのか。感覚が希薄で僕や君を色濃く感じ取れないから駄目なのか。
ここでもやはり、人それぞれの意思や考えは分からないしキリがない。

人を受け入れるところから始まる自分。そういえば偉い人も言っていた、それが真の愛の形だと。でも自分さえ愛せないのに人を受け入れることなんて出来るだろうか。いや、きっと違うんだ。
君は僕で僕は君だから。自分を愛せば人を受け入れるしかなくなり、人を受け入れればそれは逆説的に自分をちゃんと愛せているという事だ。君を受け入れる事は自分を受け入れる事でもあるから、もう少し自分を認めてあげてもいいじゃないか。そこからなら始められるかもしれない。

自分に言い聞かせる。自分は頑張ってる、大丈夫だと。
それは、実は誰かに語りかけている事になるのかもしれない。
友達や恋人に「頑張れ、お前なら出来る」と励ましてみる。
それは、実は自分に言っている事なのかもしれない。
だとしたら、人を励ます事も自分を受け入れることも実は大差が無い事なのかも知れない。

この問いかけも、意味を考える事さえきっと無駄な事だし、もしそこに正しい答えがあるのだとしてもきっと何かが根本的に変わる事は無いだろう。愛や意思疎通の正義を説いて回り、徒労に終わった先人達が沢山居たから。
完璧な答えなんてこの世には存在しないし、多分大抵の事なんて結構曖昧なままの方がいいんだ。だから面白い事だってある。
君は僕かもしれない、僕はやはり僕かもしれない、
やっぱり君かもしれない。
分からない。
分からないけどこんな事を考える前と同じく、君も僕も確かに存在する。

だからせめて、改めて見つけた自分にこんにちは。
そして頑張れ。

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音楽屋さん
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作曲、プロデュースからエンジニアリングまで、曲が出来るまでの全ての工程をなんとなくそしてぼんやりとこなす人。ジャンルはポップス、ロックからダンスミュージックまでなんでもやります。最近はすっかりハウスの活動が中心になってマス。
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